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こんにちは!川崎在住のタカヒロです(@kyohirofuku)
川崎といってもタワマンが乱立しているハイソな武蔵小杉ではありません。
川崎駅がある川崎市川崎区のほうです。
私がこの地に初めて降り立ったのは、2005年。これから勤める会社に提出する健康診断を受けたときでした。
視力検査など一通りの検査を行う必要があり、それが川崎にしかなかったからと、記憶しています。
その時の川崎の印象は、
という感じでした。とくに東口は歓楽街となっていて飲み屋や大人向けのお店も多く、どうしてもそういう空気が漂っていたのでしょう。
私は大阪にも2年ほど住んでいましたが、どことなく大阪と似ています。
難波あたりと街の雰囲気や街でみかける方々、とくに高齢の方の雰囲気とかがソックリ。
川崎という街は、日本の高度経済成長を支えた京浜工業地帯が海沿いにつらなっています。
そこで働く労働者たちの憩いの場が、川崎駅前の歓楽街なのです。
そして、彼らの憩いの場は、歓楽街だけでなく競馬や競輪もあります。
そこに集うおじさまが、どことなく大阪のおじさまと雰囲気が似てるんですよねー。
難波や天王寺あたりのおじさまと。
私の家族も大阪に住んでいたことがあるのですが、全く同じことを言っていました。
そんな私が13年ぶりに川崎に住むことになり、はや1年が経とうとしています。
今回は、川崎に住んでみての感想をご紹介したいと思います。
では、早速参りましょう〜
ここからは「川崎」=「川崎市川崎区」と読み替えてご覧ください。
川崎市といっても、内陸の武蔵小杉から海沿いまで本当に広いんです。
川崎は安全なのか?怖い人はいないのか?
まず川崎が安全かどうか、についてですが。
一応、日本ですので暮らしていけないレベルの危険度ではありません。
海外の南米ならまだしも、ここは日本です。夜は出歩けないほどの危険はありません。
しかしながら、近づいてはいけないエリアは存在します。
怖い人たちのアジトがあるエリアです。
私が住んでいるときに、1回だけ発砲事件がありました。
その時は、私は会社の飲み会だったのですが家族からLINEが来てました。
発砲事件があったらしいので、気をつけて帰ってきて!
犯人は逃走中で、川崎駅方面に向かってるらしい。
ま、マジか!?
家に帰るのやめようかな。。
(いまだかつてない、緊張感。)
しかし勇気を振り絞り、川崎駅へ到着。
駅に着いたら、警察の厳戒態勢が、しかれていてとんでもない大混乱なんだろうな。。
すると、、、
あれ?
いつもと変わらない。。
そこにはいつもと変わらぬ、川崎駅の様子があった。
道行く人も普通で、厳戒態勢が敷かれている様子もない。
警官が1人、駅のところにいたくらいだ。
発砲事件って、川崎にとっては当たり前なん!?
マジか!!
よく人が道端に転がってる
私は川崎をよくランニングするので、街中の雰囲気は大体わかっています。
特によく遭遇するのが人が道端に転がってるのです。
浮浪者の方がおやすみになっていたり、
前日の飲み会で酔いつぶれた男性が寝ていたり、
酔いつぶれた女性を看病する友人
など、とにかく人が転がっていないのを見る方が難しいです。
初めはビックリしていたのですが、今は感覚が麻痺してしまい、慣れました。
とくに浮浪者の方からは、強烈な刺激臭がするので、街中でのランニング中は口で息をしています。
とにかく強烈な臭いなんです。。
そして、たまに浮浪者の方がゴミをあさりにきます。
ただ、直接的な害はありません。
川崎駅は、とにかくクソ便利
川崎の恐ろしさをわかっていただけたでしょうか?
川崎は、悪いところばかりではありません。
川崎駅周辺は、商業施設も多く買い物をしたり、遊んだりする分には困ることがないんです。
映画館なんて、3つもあります。(映画館のハシゴをしたこともありました。)
そして、
- 東芝の工事の跡地にできた大型商業施設「ラゾーナ川崎」
- 川崎駅直結の「Atre(アトレ)」
- リニューアルした「川崎ルフロン」
- 地下街の「アゼリア」
- 京急川崎の目の前にある「Wing」
- 若者が集う「モアーズ」
- イタリアのお洒落な雰囲気が漂う「ラチッタデッラ」
- さまざまな飲食店が集う「銀柳街商店街」
など、ほぼ全てのものが手に入ります。
無印は2軒、スタバも4軒ほどあります。
無いお店を探す方が難しいです。
川崎駅は、その昔、東海道の宿場町で栄えました
川崎駅といえば、昔(江戸時代)は東海道の宿場町としても栄えていました。
近江国から日本橋へ渡る最後の宿場町として、たくさんの人の体を癒したそうです。
かの有名な松尾芭蕉も川崎で休んでおり、松尾芭蕉が詠んだ歌の石碑なんかが、あったりします。
江戸時代、川崎には一面に麦畑が広がっており「麦の郷」として知られていました。
そんな様子を物語るのが、川崎区池田の京急線・JR南武線八丁畷駅の近くにある江戸時代の俳人松尾芭蕉の句碑です。
1649年5月に詠んだとされる、
「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」
という門弟たちとの別れをおもった詩です。
川崎に麦畑が広がっていたなんて。。
住宅街やビルが建ち並ぶ今では想像もつかないですね。
こういった歴史がきちんと残っているところが、昔ながらの重要な地域ならでは。
そういう歴史ロマンを感じることができる地域に住みたいものです。
(昔も今もクソ田舎の場所は、そういう歴史が残ってないんですよね。。昔も今も田んぼしかないので、むしろ変わってない。歴史ロマンは感じにくいんです。。)
これまで、歴史が長い地域には住んだことが無かったので、こういうものを見るとついついテンションが上がってしまうんですよね!
そして私がランニングをするときに必ず訪れる川崎の稲毛神社には、当時の多摩川をつないだ
橋の一部がそのまま残されています。
(ちなみに、この稲毛神社は箱根マラソンのコース(鶴見あたり)の真横にある神社でも有名です。)
街としても川崎宿ブランドを押し出しており、
東海道かわさき宿交流館という施設があり、東海道の宿場町川崎宿の当時の様子を学ぶことができます。
川崎駅東口は修羅の国だが、西口は普通の街
川崎駅は、東口は怖い人も多いですし歓楽街があるので修羅の国川崎そのものです。
しかしながら、西口は「川崎市幸区」といってその名の通り幸せを運んできそうな地域です。
西口にはタワマンが建ち並んでいて、街もきれい。
同じ駅かよ!と突っ込みを入れたくなるくらい、違いがあります。
ワイも西口のハイソなマンションに住んでみたい。。
地元の人によると、住むなら西口、遊ぶなら東口というのが合言葉なんだとか。
川崎に住んでると、周りから「ええー、引っ越しなよ」と言われる
また川崎に住んでいると、こんな会話になります。
タカヒロさん、どこすんでんの?
川崎です。
えーっ!
引っ越した方がいいよー
危ないでしょ!?
で、ですよねー。
(このくだり、何回経験しただろう。。)
このようなくだりを何度も経験しているが、話のネタになるので、これはこれで良いかなとも思う。
話のネタにならないような地域だと、そこで会話が終わってしまいますからね!
東芝の城下町「川崎」、キヤノンの事業所もあるよ
川崎を語るには「東芝」を語らないわけにはいかない。
東芝は、1932年当時 芝浦製作所という名前でした。
その時に東京電気と合併し、東京電気芝浦株式会社として川崎に工場を建てることになります。
1932年当時は、戦時下であったため、鉄や鋼材が軍事目的で利用され、家電製品だけでは経営が成り立たない状況でした。
そんな家電製品を作っていた芝浦製作所は重電を扱い、同じ三井系列の銀行の傘下にあった東京電気と提携関係にありました。
単体での存続が厳しい芝浦製作所は、東京電気と合併することになります。
芝浦東京電気株式会社ではなく、東京電気芝浦株式会社となっているところから、東京電気の方が力が強かったんだなーと容易に想像が付きます。
東芝という名前の原点は、川崎から産まれていたんですね。
ちなみに、今の東芝の本社は川崎ではなく、駅としては「浜松町」、地名としては「芝浦」という地名の場所にある。
また、川崎には東芝だけでなく、キヤノンの事業所もある。
2015年に建設されたこの事業所は、工場で自動化を進める設備の開発など、生産部門に近い研究開発や購買部門などが集結している。
多国籍な街「川崎」
工場が多いためか、川崎には外国人も多い。
私の住んでいるマンションなんて、中国、韓国、よくわからない国の人が多く、エレベーターで日本人と遭遇することの方が少ない。
日本全体で外国人労働者が増えていることは、コンビニの店員に外国人が多いことからもわかるが、川崎はとくに多い。
今まさに、この記事を書いているスタバの隣でも、何語かわからない言語が聞こえてくる。
はじめは、外国人と同じエレベーターに乗るのが怖かったですが、今は慣れました。
川崎に限ったことでは無いですが、こんな時代が来るとは数年前までは本当に想像できなかったですよね。
本当に世の中は変わるもんだ。。
タカヒロ的まとめ
いかがだっただろうか?散々、川崎を指摘してきたがどこに住んでも、住めば都である。こんな川崎でも私は好きだ。
なぜかって?
うーん。。
住んできて愛着が産まれたから、かな。
ここが僕のアナザースカイ
川崎です!
最後までお読みいただきありがとうございます。今日はこんな感じで!
キタねー街だなぁ