ぱっと読むための見出し
こんにちは!タカヒロです(@kyohirofuku)
2016年に世界遺産に登録された国立西洋美術館。この建物を設計したのがル・コルビュジエだ。
社会人になって興味の幅が広がり、今まで読んでいなかった雑誌にも手を伸ばすようになった。その一つがカーサブルータスだ。このカーサブルータスで幾度となく紹介されてきたのがル・コルビュジエだ。幾何学的であり、かつ光を取り入れた独特の建築物は100年ほどの時を流れているにもかかわらず、不思議な魅力がある。その魅力にとりつかれ、本をかじるように読んでいた。
そんなル・コルビュジエの企画展が2019年2月19日から5月19日まで開催されている。これほどまでに人気の建築家の企画展なので、とにかく人が多いだろうと予想。企画展が開催されて当分は行くのを躊躇していたが、たまたま休日の時間ができたので電車で20分ほどかけてフラッと行ってきた。
今回はル・コルビュジエ展の紹介をしたいと思う。
では、早速いってみよう!
国立西洋美術館の特徴を知るならボイスガイドがおススメ!
ル・コルビュジエの建築で面白いのは随所に彼ならではのこだわりが散りばめられていて、見ているだけでワクワクするということだ。
ただし、この工夫は建築に詳しくない限り、改めて説明されないとわからない。建築に詳しくない人が人がこの建物に入っても素通りしてしまうだろう。人ではないがかくいう私も、建築に関しては素人の一人だ。
そこで今回も音声ガイドを500円支払ってレンタルした。
この音声ガイドで説明があったのが国立西洋美術館の1階で企画展の入り口から入ってすぐの19世紀ホールという広間だ。
まず19世紀ホールという名前が素敵。ここから既に19世紀の空気感が頭の中に刷り込まれる。19世紀ホールの天井には三角の窓がついており、そこからホールに太陽の光が降り注ぐ。
ル・コルビュジエは光との関係性も常に意識して、建築の設計にも特徴が際立つくらいに反映している。この天井から差し込む光だけで、とても神聖な温かい気持ちになる。
そして1階から2階に登るスロープも単純な会談ではなく、歩いて行くほど19世紀ホールをまた違った視点から楽しみながら登ることができ、先ほどの天井の窓も近づいてくる。歩きながらも建築物の中をあらゆる視点で楽しむことができるのだ。
これは中2階も同じだ。1階と2階が完全に独立しているのではなく、2階からも1階の風景を見ることができる。1階にいた時とは違った視点で1階のホールを見ることができるのだ。1階と2階を分けずに色々な視点から空間を見ることができる構造は面白い。上から見た時としたから見た時で見え方が全く異なる。
音声ガイドを聞かないと、敢えてこの構成にしたということはわからなかった。こういう風に、設計者の意図を感じながら建物を見れたら面白いよなと、改めて思う。
ル・コルビュジエの絵画〜ピュリズムとは?その誕生から終焉まで〜
ピュリズムとは?オザンファンとの出会い
ル・コルビュジエの絵画といえばピュリズム(純粋主義)というキーワードが外せない。
正確な定義は専門家にまかせるが、ざっくりいうと芸術に普遍的な規則を求め、丸や三角、四角などの幾何学によって明確な構成を作り上げるというものだ。
チケットに描かれている絵画を見てほしい。どこか直線的で丸や四角や三角といった、平面的な印象を受けるのではないだろうか。こういう絵画の表現の考え方のことをいう。
ただし、ル・コルビュジエは建築家なので、はじめから一人で絵画に取り組んでいたのではない。お師匠さんがいたのだ。それがアメデ・オザンファンだ。ル・コルビュジエはオザンファンから油絵を習ったのだとか。この展覧会ではオザンファンの絵画も展示されている。
この二人、はじめは仲の良いパートナーであったが、ル・コルビュジエが建築家として有名になった後、喧嘩別れしたらしい。
キュビズムとの対峙
そんなキュビズムという考え方がある中、フランスにはもう一つの芸術の考え方が登場していた。あの有名なピカソが提唱するキュビズムだ。
こちらも細かい説明は専門家にお任せするが、ざっくり言うとキュビズムとは、物体や人風景など対象物をそのまま描くのではなく、対象物をさまざまな視点から見て、そのイメージを一つの絵に合成していく芸術の考え方だ。
対象物を色々な視点で描き、それぞれ別の絵にすればまだ理解しやすいのだが、それを一つの絵にまとめてしまえ〜ということでありのままを描いた絵画に比べ、わかりにくい構成になる。
ル・コルビュジエは、1920年代にこのキュビズムの影響も強く受け、絵画に取り入れていく。
ル・コルビュジエの建築の考え方「住宅は住むための機械である」の意味とは?
ル・コルビュジエの有名な名言に、
住宅は住むための機械である
という言葉がある。「住宅」という人が住む温かいイメージと「機械」という冷たく無機質なイメージが全く調和せず、はじめは何のことだかサッパリであった。これほどの建築家が、そこに住む人のことを深く考えてないはずはないし、これはどういう意味だろうかと考えてみた。
一つ思ったのは、機械には必ずその機械が存在する、役に立つための機能があるということだ。
たとえば車には、人が快適に移動するための機能が数多く搭載されている。ライト、椅子、音楽、ラジオ、テレビ、ボトルホルダー、などなど。
たとえば車は移動するための機械であるというと、そんなこと当たり前じゃんと思う。そこには車という機械にはあらゆる機能が明確に存在し、人間が快適に移動するための工夫が技術として組み込まれているのだ。
私はル・コルビュジエは、建築にも機械の機能のような、本来果たすべき役割を補填する明確な機能が必要ということを言いたかったのではないか、と考えた。冒頭で説明したように、人が住むからこそその人たちが快適に暮らせる「機能」ともいえる特徴を住宅にも持たせるべきだと。
それを象徴するかのようにル・コルビュジエの建築には屋上庭園や光を意図的に取りいえる構成、ピロティーなど人間が住宅に住むにあたって、心が豊かになり、かつ限られた条件の中で最大限「住む」ことを豊かにする。そんな機能が組み込まれている。
機能を考えるにあたっては、人間のことをよく知ることが大切だ。ル・コルビュジエは人間の使いやすさを建築に反映するにあたっての手法も特徴的だ。例えば設計にあたっての長さの測り方は、人間の身長を元に考えている。
世界標準のメートル法は、人間を基準にしていない。しかしル・コルビュジエは人間を基準とした設計を心がけた。理想とされる人間の身長180cmを基準として建築物の高さなどを考えていったのだ。
身長が180cmもない私からすると理想とされる人間の身長という考え方に少し違和感を覚えた。「理想とする」ではない別の表現であればよかったのになと。欧米人は日本人より平均身長も高いので「標準身長よりやや高めの」という表現でもよかったのかもしれない。
いずれにせよ、自分なりの手法で人間を中心として住宅を設計したル・コルビュジエの取り組み姿勢には学ぶところが多い。
ル・コルビュジエ展でグッズと本を購入
私は美術館でのグッズ販売で必ず買うのがクリアファイルだ。値段が安い上に実用的なので毎回購入している。今回も、ル・コルビュジエ展のクリアファイルを購入した。
紺色と黄色のコントラストがスタイリッシュなクリアファイルだ。ドイツの文具メーカー『ロルバーン』のノートを思わせる色遣いだ。
またル・コルビュジエ展でテンションが上がってしまい帰りの本屋でカーサブルータスも購入してしまった。音声ガイドで学んだ知識をカーサブルータスで再確認してみようと思う。
タカヒロ的まとめ
いかがだっただろうか?1920年代のル・コルビュジエの絵画、建築物の考え方に触れることで、今までに読んだりしたことはあったかもしれないル・コルビュジエの建築の奥深さを改めて感じることができた。
何度も言うが、音声ガイド様様である。そしてこの音声ガイドの最後と言葉は、ル・コルビュジエの言葉でしめくくられていた。
毎日私の生活の一部をデッサンにあてた。デッサンすることと、絵を描くことを決して止めなかった。私の仕事と探求の鍵は、そこにしかない。
コツコツと毎日絵を描くことが、建築への刺激になり彼の偉大なる功績につながっていったのだ。ここのところ、まさに今、ブログの文字を書いているようにここのところ左脳メインでしか使っていない気がする。
ル・コルビュジエではないが、もう少し右脳を使う楽しみも人生に取り入れる必要があると感じた。デッサンでもはじめてみるかな。
最後までお読みいただきありがとうございます。今日はこんな感じで!
よくわからん絵を何とか解釈しようと鑑賞するよりも、的確にその絵の背景と特徴を知ってから鑑賞した方が心にも残るんだよね。
あと音声ガイドがある絵だけに集中してみることができるので、時間の節約にもなる。